マオ@のロストテクノロジー??

私のニコニコブログ等エッセイの中から技術的なこと書いたかもしれない内容の最終置き場です。はてな様に悪いのでぼかして書いてあることもありますが、そこは理解いただきたいです。コメントは返せるときに必ず返しますので、気になることがあったらコメントください。twitterやってます。https://twitter.com/maof2015

シャウトする音楽から見る音楽文化の広まり※私論 作JIVE_JIVEお兄さん(マオ@)

シャウトする音楽から見る音楽文化の広まり※私論 作JIVE_JIVEお兄さん(マオ@)

大陸をヨーロッパと中国とインドとアメリカと日本に分けて考える。

まず音楽の元となる弦の発祥はインドの文化とされている。特に中華がインドのコーランを輸入して独自の倫理を足したのが、有名な教えだったはずだ。(あとで訂正予定)

そのため中華地域では音楽が輸入されたと考えるのが普通の人の考えただろうと思われる。弦も輸入され馬琴などになったのだろう。

そうして太鼓、ドラ、様々なものが宗教的に国を治めるために使用され、(専門家ではないので詳しくはわからないが、)それが治める以外にも使用されるのが一般化だ。この一般化、たとえば町のお祭りなどのしようなどは他の地域でも起こった例は多いはずだ。もちろん研究者ではないので調べる気も起きないが。

 日本に音楽がやってきた理由はわからない。しかし神教と仏教のミックスの日本は、神教の音楽(イメージとして太鼓の多用)と仏教の魚拓とドラという輸入からなる音楽はまさにミックスだ。ただ謎なのは琴(弦)というものが上流階級だけに雅だからという理由だけで文化が保存されたのは謎だ。
 なぜあったのか理由がぼやけている、それくらい琴というのはレアケース故に表現されたもしくは唯一記録されていた文化なのだろう。
 そのため武士の時代に入り、雅を真似た文化の輸入により、貴族、武士、それにとりいろうとする上級商人、武士と婚約したい江戸の一般女性と文化が引き継がれ、例として江戸にはいると祭りの際に聴かれるようになったのではないかと考えられる。

 では声はどうか?一番最初に思い浮かぶのは平家物語を歌った琵琶法師だが、正解は宗教者、たとえば卑弥呼などが当たるのではないかと考えている。一番最初ではないがそのあとに葬式、能、日本ではそれあたりではないかと思う。そうして音楽と言葉の一致という意味で邦楽のベースができたと思う。

ヨーロッパはどうか?バイオリンなどの歴史は知らないが、インドと同じユーラシア大陸の、西にある。
 ただ今では一般的な弦を叩くピアノという楽器はもとは、弦を引っ張り離し音を鳴らすという機械だった。
(ピアノやバイオリン、ハープなどヨーロッパのイメージが強いがどこかで流通していた可能性が高い。期限を当たればアレクサンダー大王の遠征にヒントがあるのかもしれない。)
 しかし流通していたものとしてとらえても、ヨーロッパの文化として、今の叩くに落ち着いたのは調律士という高度な調整屋があらわれた宮中音楽の発生だろう。

 文化の発生には必ず最初には宗教の発生という、道徳というものがある。ヨーロッパでも音楽において宗教の強化として楽器が用いられたと思う。
 またそれとは別にボイス単独の音楽もあったはずだ。もちろん研究者ではないので調べる気がないが、それぞれが単独の文化で発生したものがどこかでミックスしたものが宗教音楽になり、宗教音楽の格式を自分の権威の高まりを表すものが宮中音楽や娯楽としてオペラが発生したのもたしかにかもと言える。
 またお抱えの音楽家の技能を調べるために、ピアノの叩き具合から、指揮者の楽譜を読みとる技能、場合によっては作曲能力などテストができた。
 しかし試験というものは吟味するもので、その吟味という一点に絞らざるをえない点から、宗教的に厳格さや、宮中音楽的軍歌的にに意欲への高まり、音楽敵視点で調律さなどがもとめらた。
 町の祭りなどにあられる大道芸人や弾き語りはその溢れたのはみ出した者たちと考えられる。
 つまりヨーロッパではピアノやバイオリン一つで技能を語れるほど、文化が成熟もしくは戦争などの中断で、ジャズがあられるまでそのものの音楽が固まり、人々が飽きることなく続いたと考えられる。(感覚としてアヘン戦争くらいまでと思う。)

 ここからが「シャウトする音楽から見る音楽文化の広まり」に入るのだが、精神病院で娯楽として深夜のラジオを聴いていた。深夜二時は若者の音楽、朝五時は民謡、六時はクラシック音楽だった。

 そこでみたのは民謡の良さで、民謡の特徴として、声の高さと伸びが、尺八にどこまでついていけるのかや、リズムを刻む太鼓、ベースの三味線などみるところは多かった。ある意味、いい民謡とは私はヨーロッパ的な見方しかできなかったのか、音との融合性ばかりに目にいってしまった。しかし詞という意味でみると民謡は生活を伝えるというモノになっていることに気づく。
 だが残念ながら私含めて多くの人は意味よりも、耳障りを選んでしまうのだなと感じてしまった。だがいい民よいとは逆をいうと、西洋の考え方だと必要なときにシャウト(主張)をおこない、あとは語るというものだ。
 この言語的な説明力(この場合、詞)は、言葉が理解される土壌でないと発生しない。これを説明するには、寺子屋という日本の土壌が説明してくれる。読む、書く、計算。たったこれだけだが、マッカーサーが行った日本語を維持するかフランス語に帰るのかというテストを、余裕でクリアした日本人の文章を読める力が表している。つまり理解する力が昔の人でさえあるのだ。
 日本ではシャウトという主張を行っていたが、一応シャウトを私なりに説明しよう、シャウトとは訳すと叫びだが、私は高音域をだすこと、高い声を出し、曲の安定した音量より大きい音を出すこととする。そうすると主張が絶命できるはずだ。

 また民謡の庶民生活を描くという点と比較して、ヨーロッパのシャウトとはどういうものか?まずは宗教音楽、高い域を出しているが主張というモノよりも威厳を与えるという意味になっている。宮中音楽もだし、軍歌もだ。

 これの結果は日本では(西洋との戦争前の話かもだが)葬式や神楽などの行事でだけ、厳格があったのに対して、ヨーロッパではそれがない。区分ができていないように感じる。かなりあいまいなのだ。極端な話、ヨーロッパの音楽の教育と日本という地域の差を説明すればするほど、違うと言えるのだなぁと感じる。

 私はこれにシャウトという考えを落としたい。
 ヨーロッパで発生した威厳を表した音楽は海を越えてアメリカに行き、アメリカでアフリカのシャウトの多様のシャーマン的?な音楽が広まり、それを治めるために、または宗教の入植や統治のために宗教音楽の拾得のためにピアノが選ばれた。(同時期には映画カサブランカでアフリカ人がピアノを弾いている。)その教育がありつつも、楽譜がわからない人々が即興で弾いた音楽がジャズかもしれないが、それがヨーロッパからやってきた人々の興味を引いた。そういった観点からアメリカは入植者の国として、文化がヨーロッパ系、アフリカ系からはしまり、集まり文化強国になった。
意味を持たない日本的でないシャウトと意味を持った厳格の音楽が出会ったのだ。

 それまではアフリカの説明の付かないシャウトと日本の説明を強調する主張のシャウトは存在しなかったと言える。では日本に厳格さはあったかといえば、限定的に存在した。というのがまとめ。

 ここから第二次世界大戦後の音楽と聞き手の若者の音楽の主流を説明したいけど、めんどくさいからやらないからとばして「新宿の女王」の突然変異の説明。
 ここから椎名林檎がなぜ「新宿の女王」でヒットしたのかの考察。2000年の付近にできたらしいが、「新宿の女王」は説明ができすぎていたところにある。2000年付近の音楽を聴いているとわかるのだが、音楽にこうなってほしいという主張や耳さわりのみで、(曲としてはわからないが)椎名林檎の「新宿の女王」のストーリー(物語)と母親と重なる自分という倫理性という、今までその当時の若者が聴いていなかった曲の分野から、私なりにいうと横から急に殴った価値観、それプラスその当時の若者が「新宿の女王」を歌うことによって、若者が「新宿の女王」を歌えるプレミア感によってヒットが成功したと言えると考えている。
 その説明力が今の2015年以降の若者音楽に取り入れられている強い要素とは言えないだろうか?

めんどくさいので終わり。

作成開始2017年10月11日18時5分頃
完成2017年10月11日20時5分
著作:JIVE_JIVEお兄さん マオ@ 柏大地 男心西宮律乃

「織田切山」 作JIVE_JIVEお兄さん(マオ@)

創作寓話「織田切山」 作JIVE_JIVEお兄さん(マオ@)
時代的にいい加減です。ご注意ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 昔々、江戸の後期。明智光秀と同じ美濃出身のそれは強い織田切山という前頭から小結にあがったばかりの、それは強い力士がいたそうな。

 織田切山は前頭から小結にあがったのは理由があって、なんと初場所で優勝してしまったからだ。

 それをよくは思わない当時の横綱多豊の国は、八王子の山中にて相撲の稽古とってやるといって呼びつけた。
田切山の稽古が始まった。すり足から始まり、四股を踏み、当たり稽古から30人の乱取りにった。

 織田切山は強いのなんの、得意の突き出しにてあっと言う間に15人は倒した。そして出てきたのは多豊の国。勝負は一瞬、織田切山が押し出しを狙い、それに答えた多豊の国は受け避しを狙い、多豊の国が勝った。その後も乱取りが再開し、織田切山はまた横綱と戦った。
 多豊の国はまた同じ避わし手を狙ったが、織田切山の賭に負けてしまったのである。避し手は最初のぶつかり合いから横にそれる傾向がある。つまり右に避わすか左に避わすかという二択が成功して相手の裏をとれると言うもの。

 多豊の国は避し手の名人だったが多用しすぎていた。そのため避わしての途中で足が着いてしまい。もともと悪かった膝をさらに痛めてしまったのである。

これに反省したのは多豊の国。膝を使っただけの簡単な変化だけでは、何割かの有利はあるが、織田切山のぶつかるだけの相撲にはけがを含めてのもしもの被害が大きいと理解し自分はこれから織田切山と同じ膝を痛めない戦法をするか残りの乱取り5人には避し手を取らせるようにまわりにふき込んだ。

30人目、織田切山と多豊の国の勝負である。
「はっけよーい、のこったー」
多豊の国はまっすぐぶつりにいった。一方織田切山は先ほどから戦った相手がすべて避し手だったため戦法が定まらなかった。しかし八割の力でぶつかる力加減が体でわかっていた。二人がぶつかる瞬間、「ドッバーン」という激しい音が響いた。両方とも、反動で体が離れた、間髪入れずに多豊の国のつっぱりがはいる、織田切山は無我夢中でつっぱりを手と腕で防いで寄り合いになった。つっぱりを防がれた多豊の国は不利である。つっぱりは自分の現在の場所から移動することなく手を動かす技である。それを織田切山は無我夢中で懐に入ってくるものだから、多豊の国は土俵の端へ端へと追いつめられていった。

 そして端に積められた際に多豊の国の悪い癖で、避し手をしてしまった。そしてどちらも同時に地に足を着いてしまったのである。

 多豊の国は怒った。もともと自尊心が高く、周りへのふき込みがうまい、しかも横綱である。それが小結にあがったばかりの元、前頭に再試合となっては言い訳がつかない。

 そこで多豊の国は刀を取り出した。そしてこう言った。「力士というど武士の端くれ、刀で勝負できなければ武士ではないぞ。」刀を織田切山にも、付き人を通して渡させた。
 多豊の国ははじめから戦う気はなかった。刀を織田切山に軸をブラして振れば良かっただけだし、しかもお互いの刀には刃入れをしていない模擬刀のようなものであるのだ。

 多豊の国は模擬刀を振りかざした、織田切山は刀など持ったことがなかったから逃げるばかりで構えはしたが、刀を振りかざした物に当てる程度だった。
 しかし、刀を振り回され、壁際に追いつめられた織田切山。多豊の国はこれで観念するだろうとゆっくりと模擬刀を振りあげゆっくりと下ろそうとした。すると織田切山は刀を構えながら多豊の国に突進していった。模擬刀は多豊の国の左目にささってしまった。
 そういった件から、喧嘩事とあっては国の一大事、国が取り締まるしかない。取り調べがあったのだが、当時の八王子は山の中、現場にいたのは力士しかいなく、みな何を聞かれても多豊の国も織田切山も黙ってしまい。その一方として多豊の国の左目の失明という怪我の事実が残ってしまった。
 そして判決の場にござに座った織田切山と多豊の国、判決を言い渡す役人、それを囲む護衛二人、そして不思議なことに役人の隣に小さな子供が正座していた。

 すると判決が出た。多豊の国、無罪。織田切山、有罪。
そして代官からからこう提案があった。「一年間、衣食住満足に与える代わりに蝦夷地で開墾をしないか?もしくはとある場所で五万回四股を踏んだらすぐにでも無罪になる、しかし食事は満足できる物ではないぞ」と、時期は春場所が終わった江戸。織田切山は悩んだ。そして代官は続けた。「名古屋場所には間に合うぞ。」すると織田切山は
それならばと、それで罪を償おうと決心した。

 そうして織田切山は目かくしをされて、江戸から数日移動した。食事は一般人と同じ量しか出なかったため、みるみるうちに痩せていった。そうしてきらびやかな都市と思われる場所の高い建造物の前で下ろされた。「ここがおまえが四股を踏む場所だ。」といわれ、また目隠しをされて階段と思わしきものをあがっていき、目隠しを外された。

 そして、ここまでつれてきた縁もあるので、私と息子が五万回四股を踏むのを見届けようと代官が言った。代官の子息も軽く礼をした。
 織田切山の四股を踏むのが始まった。
 織田切山のその場所は、なぜかぐらぐらした畳張りのものだった。織田切山はすこし不安に思いながら四股を踏んだ。「どっしーん、ぐらぐら。」その階の床が揺れた。
 織田切山に寒気が発した。そうれ試しにもう一度四股を踏んだ。「どっしーん、ぐらぐら。」やはり床が揺れる。代官はかまわず筆で回数を数えていた。織田切山はこれはおかしな場所だと思いながらも四股を踏んだ。そして五千回になったとき床が「スパーン」と音を立てて抜け落ちた。これに驚いたのは当の本人。気づくと一つ上の階から代官が見下ろしていた。代官は言った。「織田切山よ、まだ五千回しか四股を踏んでおらぬぞ。」織田切山は寒気もしたし、気が抜けてしまった。四股を踏み続けていけば、床が抜ける。床が抜けるが良いが、抜けた先はなにがあるのかわからないのだ。
 そうして一日目が終わり、体を水で濡らした手ぬぐいで拭き、その不安定な畳で寝た。二日目に入り、食事をとり四股を踏んだ。「どっしーん、どっしーん。」一日目と違い、若干勢いがない四股だったが三千回を踏んだ。そうして二日目が終わり、体を拭き、食事をとり就寝した。体が慣れたのか三日目は四股を四千回は踏んだときにまた床が「スパーン」と抜けた。織田切山は気づくとまた代官が「織田切山よ、まだ一万二千回しか四股を踏んでいないぞ。しかもまだ二回しか床が抜けてはおらぬではないか。」と言われた。そうして織田切山は今日の分はやめてしまった。次の日織田切山は四股を二千回踏んだ。正しくは二千二百回は踏んだのだが、代官からは「勢いないものは四股に数えない」といわれれ、数えられなかった。
 そうして五日目の夜の食事の時に織田切山は自分が相撲取りとして申し訳ないと思った。そして床につき、夢を見た。昔のこと事を思い出す夢だった。毎日寺子屋に行っては相撲を取る夢、角界に入る理由になった少年相撲大会で優勝する夢、優勝した商品のもち米で父と母とで餅を食べた夢、前頭として春場所で優勝した夢。そんな夢を見た。六日目から織田切山は変わった。食事をとるのもそこそこに四股を一日七千回は踏んだのだ。「どっしーん、どっしーん」次の日四股を千回踏んだときにまた床が抜けた。代官の息子が声をかけた。「おーい、織田切山さん大丈夫ー?」織田切山は大の字に倒れながらも「あああ、私は大丈夫です。まだ四股を踏み続けれますよ。」と声に答えて、水を飲んだ。そうして勢いよく四股を六千回踏み、また次の日に四股を三千回踏んだときに床が抜けた。
 しかし、この階から不思議なことが起こった。床の下から誰かの会話の声がきこえるのだった。しかも織田切山が四股を踏むたびに声が一時的に大きくなった。織田切山も
気にはなったが自分の義務を果たそうと四千回踏んだ。
 そして次の日になった。次の日、織田切山は六千回四股を踏んだ。四股を踏むたびに下の階から歓声が聞こえて気持ちは良かったのだが、今までの粗末な食事で少し力が出なかったのだ。そのため今日は早めに切り上げた。そうして次の日に改めて四股を踏んだ。二千回は踏むと床が抜けた。また織田切山は大の字に倒れていたが、気は確かだったが驚いた。落ちた先は誰もいない勘定所のような物だったからだ。
 しかし上の階から落ちてきた代官はその場で四股を踏むように命じた。そうして織田切山は四股を六千八百回踏むとまた床が抜けた。すると床が抜けた先は狭い土で覆われた通路だった。織田切山はそこを転がっていき、気づくと社の前に座っていた。
 あとから代官とその息子と提灯をもった二人ほどがやってきて、代官の息子が水筒を持ってきて、手渡して少し混乱気味の織田切り山に飲ませた。そして代官が言った。「織田切山よ、お前の義務はあと二百幾ばくかの回を残しておるぞ。そしてこの場所を知られたからには新たな役を命じる。はやく四股を大仏の前で行え。」織田切山は話を飲み込めずにいたが、先にふくんだ水で力がわいていた。 そして立派な四股を踏むと、まわりから「よいしょーよいしょー」とかけ声があがり二百回を越えると、たいまつを持たないあとから来た者が社の戸をあけるとそれは光輝く黄金の小さな大仏だった。
 そして今まで四股の回数を数えていた代官が自分は徳川の将軍だとあかした。そして徳川の将軍は今までの非礼をわびた上で「この徳川の隠し財産の金の大仏をみられたからには、公のものにするしかない。すると大仏は日光に納めるしかない。織田切山と八王子で稽古を取った関取たち、相撲関係者、武士ならば私の命に答えよ」と言い。そうして、徳川の金の大仏を背負った織田切山をはじめとする行列が京都から名古屋、途中左目を失明した多豊の国も参加して江戸を通り、日光にまで行き、納めた。
 その行列は大名が参加しなかったため、頭を大仏より下に下げる必要がなかったため、それの見たさのために行列には人が押し寄せ、街道の通りは大変ににぎわい、またその効果で名古屋場所は連日大入りとなった。もちろん織田切山は希望の通り参加できたが、将軍からの提案で名前を出された。「破回想」。
 京都六波羅の塔で不安という回想を破ったことと、武士として多豊の国の目をつぶしたこと、また後日談だが多豊の国から将軍にどうにかならないかという上申が送られていたためというものがあったからだ。
 織田切山、いや破回想はこの名古屋場所を全勝優勝し、ことごとく記録を塗りかえた。そうして避し手の名手だった多豊の国親方と後身の育成に励み、一生大関として現役を送ったのだった。

そうして将軍からも民衆からも、仏を大事に思う僧や公家からも認められた相撲は国技としててより一層、繁栄したそうな。
むかしむかし、江戸の後期のことだった。

マオ@の雀荘・ユスラゴ ブロマガ(一応仮 「指原莉乃の人気から見るバラエティ番組の進化と25ー40歳、アンダー24の感覚とその進歩を先読みするマスメディアの管理の不安化の地帯」

指原莉乃の人気から見るバラエティ番組の進化と25ー40歳、アンダー24の感覚とその進歩を先読みするマスメディアの管理の不安化の地帯」
2017年6月17日原稿用紙に書き殴り、2017年8月18日12時45分アップするもの完成。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2005年うたばんからモーニング娘。撤退、宮城テレビでの深夜からハローモーニングの撤退からテレビを見なくなり、入院と同時に2016年テレビ視聴に復帰したものです。
 ただ最近のアンダー20歳はコワイ。特にデレマスの武内シュンスケP、黒沢先生、オリンピックな世代だ。
 ただそんな世代を感じる少し前の2013年たまたま見た笑っていいともで「サシハラはですね、サシハラはですね~」と雑にプレゼンする姿からミニモ二。に代表される辻さん加護さん(ミニモニは設立時に全日本プロレスを模したTシャツを着ていた)から、私のナンシー関魂が開き、その指原の勇者っぷりから、翌日に経理学校の同級生にそのすごさを話してしまったくらいだ。...
 そして私が2016年にテレビ視聴を復帰し、指原が立ち位置のおかしいおかしい女性アイドルだと気づいた。
 例えば我々世代のパフュームがvs嵐に出た時にコメントで二宮さんはあいさつの時に毎回、笑顔がくずれてお辞儀をする。大野さんはなんだったか忘れた(笑)といった内容。
 それに対して指原は、ヒルクライム風のアトラクションから舞台に戻る嵐メンバーを見た後の感想を求められた時に「嵐が歩いて戻るケツの姿がかわいい。」というものだった。
 パフュームをアラサー、指原を23、24ととらえ比較すると、アラサーとそれ以上の世代は、その姿を文章化し共有することで良い感情を生み出すことのみを要求しているのに対して、指原の24歳以下は「嵐は歩いて戻るケツの姿がかわいい。」(桜井翔さん含む)とバカにしてんのか、ピュアに見ているのか、嵐なのに指原から見たら34歳はすでにオッさんなのか?おっさん走りに見えたのか?など視点がクリアに見えず、感想が全方向に向いていて、考えれば考えるほど底の見えない芸術写真のようなモノになるのである。それをアンダー24の感覚と名づけてみると、今のそれは思考の発達したとして。それを我々から見ると不安に感じるのである。
 そして2017年6月初旬。スカッとジャパンにて指原はバーサス榊原郁恵さん、美川憲一さんとなり、バーサスアトラクション共有をするのである。そのスカッとする内容は、人見知りする女子高一年生が、隣の席のイケメン男子生徒とテストの時に消しゴムを女子高生が借りた事から仲良くなり、それからテストの結果を見せ合うことから接近する。がそれを良く思わない女子生徒たちから「近づくな。」と言われ、距離を置き、年間の半ばで体育祭があった。また女子生徒たちのリーダーから釘をさされた中、男子生徒の借り物競争開始する。イケメンも競争の途中で二人の間に入ってくる。突然名前を呼び、赤いタスキを主人公の女子生徒の腕にまきつけて、校庭のゴールへ走り出しゴールする。借り物競争のお題が表れ、「大切なもの」と映り、スタジオで。男子生徒たちがイケメンと女子生徒に近づき、お題を見て騒ぎ、女子生徒達がイケメンをあきらめ、スタジオでスッキリのボタンが押される。榊原さん美川さんが若いっていいわよねーでキャピキャピしている中の指原のコメントが「意外に大胆な行動でビックリ大賞ですよですよ。」と言ったものだった。
 だからこれは行動の理由を出会いから終わりをつないで考えた線の思考を一瞬でまたたいたインスタントな大胆な結論のものであったあったからです。もちろん先輩方のリアクションや前の黒田アーサーさんをほめる等、二十四歳という十代とアラサーの間を保っている反応とも言えます。もしかしたら10代の代表のりゅうちぇるさん、藤田ニコルさんもこの意外性のコメントは出来るかもしれません。
 そして今、テレビ番組は意外性の存在のために翻弄され、活気付いています。
(2017年8月15日朝五時半~七時二十分頃仮アップ)

そして今、テレビ番組は意外性の存在のために翻弄され、活気づいています。
 それの理解のためには、テレビとは映像、もしくは映像作品と理解し、映像そのものを、メンバーいじりのない笑天・大喜利と、とせえるべきです。ですから芸能人というものはいらないはずでした。ですが物語が登場人物が必ず必要なように、人の物語イコール歴史・伝説は文章の始まりです。そのため能を広めた人や平家物語などを広めた人手さえ日本の歴史の教科書に載っているように、芸能人が能力的、伝統的、制作側から見て演出的に必要なのです。
 そして、その作り手が作りたい番組と芸能人の話し質の二つのベクトル(方向)を合わせなければいけません。今までだったら、その二つが続き番組の歴史と芸能人の歴史という三つ目のものができます。
 そして意外性を持ったアンダー24(U-24)の世代がベクトルの説明を要求します。
 まず正当なリアクション。これは前にあげた榊原さんの反応、次にオカマ等の美川さんのアングラの反応、落語家的オチのある反応、鉄ちゃんが発見したボケ潰しというベクトル、最近見直された叫ぶ(シャウト)というサンシャインさん、アキラ100%さんに代表される反応。これらがバラエティのベクトルの主な方向の反応です。
 特に欽一さんの存在はバラエティに大きく、影響されたのは歌手・アイドルのコントやトークへの大きな参加でらしいです。(これからはテレビの受け売り、一応自分でも考えた昔の情報で象さんのポットという話を見たことがあるので。)
 それ以前には落語家、芸人のみが行っていた笑いの入った雑談がある程度ライブラリ化されアイドルでさえ参加可能な台本が作ることができました。
 そして欽一さんは逆にアイドルのイメージを悪くする、人としてムチャクチャな笑いを(テレビ局へのいやがらせがなぜか笑えたもの)を作ることができまたのです。
 それがアイドルにも浸透され、俳優にも届いたのが1990~2000年代です。(俳優からコメディアン、歌手・コミックバンドからの参入もあるので詳しいことは素人の私にはわからないので席を専門家にあげます。)話をベクトルに戻して。

そういった訳でベクトルが一般人にも、特に若い人に吸収されていったのです。ですから特にバラエティのベクトルは無意識でU-24を境に、私のようなアラサー(パフューム含む)とU-24の指原勢は言葉の多様性が違うのです。文章を伝え頭で暗記させて、それを共有し合う人類と、昔の落語家の言葉のように複数の意味を連想させるパフュームを超えた域にあるU-24は、アラサー以上の年寄りにとっては脅威です。

そもそもアイドルのバラエティとはなんなんでしょう?バラエティの参入を欽一氏の郷ひろみさんから数えて、そして私の経験からアイドルのバラエティ番組・テレビ東京の「ハロー・モーニング」として、お気に入りはモーニング娘。ハロプロメンバー参加。天の声にヨシモト系芸人(元含む)で、メンバーと一緒に考える(キモい?)大喜利でしたし、そこから見る考え方やリアクションが娯楽でした。そこから、うたばん黄金期の石橋貴明さんと中居さんの歌手のトークへの参加で、楽しみつつも反応力をトレーニングしていました。(アイドル、芸能人が普通に近くにいる人のように思い、リアクションを共有する行為は普通だったんでしょうね。)ちょうどモー娘。さんなら道重さんの世代までかなー。2005or2006年まで良かったのですが有名なテレ東アナウンサーの件で無くなってしまうのです。(詳しくはググってね。)

そして指原の世代U-24です。彼らは無意識にベクトルと落語家のオチの考えをテレビから教育された世代です。実際の当の本人の指原は、今は亡き笑ってもいいとも!からベクトルと、特にオチの反応を実戦で鍛えました。
 方法は簡単で、実際の番組でお題を受け、出し物がタレントの個性を強調するをベースに現地改修。おそらく、その番組後、タモリさん、関根勤さん、はるな愛さん、香取慎吾さん、他若手芸人から落語家的オチ(ベクトル)、特に司会のタモリさんから密教的な色々な意味を含んだ話し方を自己鍛錬させられたのでしょう。当の本人は、話が無意識にムチャクチャな方向に(ギャグが)飛んでいるのに自覚はあるのでしょうか?(笑)欽ちゃん的でした。※2017年6月17日総選挙前の一般人の意見です※
 ただ私から見たら「デューン」の村上ショージさんのギャグから笑いのエッセンスを抽出し学びの格言「物事の話の流れが合っているのに、ずれている感が笑いの肝」と見て来たので、指原莉乃は多少バカと暴力性があるがAKB48というアイドルグループに属しているので、笑いとしては正解というものになります。
 しかし、指原は正解にたどりつけても、番組から言わされていて、アラサー以上のエピソードを純粋に楽しめているのか感覚が不安であり、もっと詳しく言うと指原は外から求められる外面と自分の心理。(2017年8月18日追加、自分がない事から)多くのアイドルにあった変化に気付いてくれない溝の地帯に入るのではないかと心配です。本人は他の女性アイドルグループ(ハロプロ系)のファンである事、母からの教育「あんたはバカだから、せめて顔だけはいつも笑顔でいなさい!」という有名な設定。この二つのギミックを外してしまった指原が出た場合、自分ルールを外したら魚の文字通りブリの頭を刀で一気に切り落としたように、頭から大量の血がふき出す様に、急にテレビからいなくなるのか?それとも逆にU-24どころか、U-18くらいの者達を引っぱり、我々アラサーとオーバー40を今のU-24が落語的、話の折り方のうまさから良い環境ではく感じる事を、今のU-24がそれ自体が中和しオーバー40とアラサーとU-24の会話を理解する文化の調和の柱になるキーパーツになるのかもしれません。ただその一方で話の折り方のうまさから我々アラサーからしたら脅威の世代に写り、そのようにみえアラサーは不安になるのです。
 AKB総選挙(2017年6月17日土曜の前日に精神病院で)までにこれを書き殴りましたが、指原は1位に連続してなれるのかなぁと、テレビから消えてしまうのかウオッチできなくなるのか心配です。
 指原のテレビの服装は25~32歳の物ですが、話しや受け取り方、感覚は19、ハタチのギミック、制作者側の要求です。私はそう感じます。指原もそれを利用してVS嵐での発言が容認され自由にふるまっています。
 ※(2017年6月17日土曜の前日に書いているため)明日のAKB総選挙はカギになります。白石をはじめの乃木坂、NGTの元気のいい子達が中間で1位でした。しかしそれではダメなのです。
 もしNGTの元気の良い子が1位になると指原のギミックは崩れます。指原がAKBをやめるのには良い理由ですが、NGTの子だとテレビのベクトルの理解からメチャクチャが抜け、うたばんの黄金期に近づく可能性は高いですが、元ヘビーユーザー、テレビを見なくなっていた者たちが戻り、わかりやすくいうと言えばNGTの子は早○マミさんのような文章だけで説明ができるアラサーのモノのテレビになり、U-24バラエティの文化的に後退してしまうのです。意外性が落語的キャラクター付けのない笑点大喜利のものとしての、映像が芸能人の歴史に負けてしまうのです。

 指原は今が山場です。1位になれないと未成年感が使えなくなり、母親の言葉もなくなります。笑っていいとも!の時代を経験したバラエティーのお笑い打ち出しマシーン・明石家さんまさんの様になりつつも、テレビに出なくなり、未成年アイドルから一般タレントになったのとは差がありすぎます。「AKBの未成年だからひどいトークが認められる」
というギミックを失った指原は弱いです。
 私が心配しているのは多くのものはバラエティの反応から見る笑いです。ですが今のテレビにはアラサーどまりの笑いしかありません。(2017年6月17日まで確認のものです。)見ている者が幅広い年齢である事もあります。指原は年代的にと「いいとも!」の実戦から、笑いのドーピングを受けました。ちょうど私たちアラサーにとって指原は良い教材になり、ちょっと頑張ればあのトークができる。さらに指原を未成年ぽいものととらえると、一般人(U-15含む)にもバラエティの笑いを学習・文章化が可能になり、さらにアイドル指原が続けば独自の笑いの発達・学習方法の解析がテキスト化できる物ができるのです。(その逆の感情と勢いを同時にぶつけるのが今はやっているサンシャインさんアキラ100%さんはいてますよの人です。)

(書いてから気付いたもの・ツイッターにてすでに予告済み。追記)
 また偶然見つけたものですが、女子高生の笑いを木から落ちた林檎があるから笑う格言があるということから、林檎が落ちる=笑いの場or実があるということで、女子高生がその場もしくは実を見つけることが出来ないと笑いは女子高生にとって起こりません。
 笑いというものは、特に日本という場ではその環境を準備してあげる必要があるのです。またその環境を準備しないという事は、笑いという文化をコントロールしているという事です。つまり、文化の最先端は案外周りから解られないものの、ちょっと古くなり先端になったものがテレビに出て認められるという事になるのです。つまり日本の大衆文化は先端者の調査から始まり、それがアンテナを張っている者の耳に入って理解されて放送コードのぎりぎりの許可が落ちるのかがをいくのがテレビという事になります。テレビというマスメディアはそういうものです。
 ただ逆にテレビとは有限ですが、アナログなところでは新聞も重要な情報になります。有名なところでは私の地元紙ですが、スマホの電源を切っていてもマイクがオンになりそれをwifiに出て飛ばすウィルスらしきものが確認され報道されていたり、例としてスマホやネットにつながっているカメラから人の脳波がテキストとして表示されるソフトウェアが海外で開発され乱用されるケースが一般の日本人に想像されていたり、場合によってはテレビからそれに近い行為があってあたりまえのビデオリサーチ社協力の地上デジタル放送であったり、スマホやパソコンやアンドロイドから勝手にデータを持ち出すような行為がある訳ないですよね日本政府様。ぜひ対策をお願いいたします。一応、統合失調症兼一般平民の私からも真髄の針を打たせていただきます。(追記 終わり。)

 (話し戻って昔の件、)ですので話芸の文化として指原莉乃はAKBにまだまだ居るべきであり、AKBの山本昌やAKBのゾウガメと呼ばれるべき存在になったほうが良いのです。私は退院を期にテレビをただ眺めるだけの人になり、ネットのニコニコ動画に戻ります。テレビは入院中(夜9時には消えましたが)だからみれたものですから。指原には感謝しています。2006年を期にテレビから離れていたからこそこんな文章が書けましたから、ありがとう。AKBとはこれでさよならの予定ですが、東北勢として良く松島にボランティアに来てくれていたこじはるさんと胸強調して追放なったロックな岩田カレンの感謝と放送打ち切りぎりぎりになった原因の地域の者として、ミヤギテレビの置き土産があるから、それ全部感想文書いてやる!!というわけで親切な人つべに置いといてください。指原は数年後ディナーショーにいくのでよろしく。
 ここまで読んでくれてありがとうございま~す!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2017年6月17日原稿用紙に書き殴り、2017年8月18日12時45分アップするもの完成。
著作:ナンシー関に勝手に弟子になった&尚○某大学名誉中退者_映画「リライフ」の元ネタになった男
「ナンシー鯖」「マオ@」「柏大地」

ワイドショーナリーな感想と松本さんとおっさん 2017-04-23 13:02

三月の末のワイドショーナリーは重要な回だった。

メイン出演者の松本人志さんのコメントは、後ろのカーテンがねじれていて、髪の毛ねじって巻いたおっさん居たよね風だったのが面白かった。

背景を説明すると、今SNSで流行しているキュン系4コマの作者にかわいい現役女子高生が現場に突入して、かわいい作者さんに会い、当日にネットでのやりとりのみのかわいいアシスタントさんと合流して苦労を聞くという話しだった。

しかし松本さんのつっこみは上のものでずれているのだが、そのずれ具合が異常な物だった。
まず男なのに女子に行かずにカーテンに行く点、となりの現役女子のAKB指原などがいるのに無視している、その前でおっさん言う。東野幸治さんを頼らない。

ここがワイドショナリー的なニュースという場に芸人もってくる時間を浪費しないギャグなんだなと実感。さんまさんとかにやらせたら明らかに違うでしょう、タモリさんたけしさんなら考えてみてくださいな。千原ジュニアさんだったらどうだろ~。なんかイメージできんな。まぁそういう立ち位置を含めてのなんですよ。

時間と旬と経歴、好み。ひっくるめれば…というわけなんですよ。
あとエレファントカシマシの宮本さん立ち上がってばっかりだったっすね。ガンバ。
松本さんとおっさんの歴史は長いな~(遠い目

鯖としての挑戦 嵐について2016年初夏版

この記事は2016年6月前後に書かれたものです。

「嵐について」

私ことですが、嵐は中堅に入り1人1人がベビーフェイスを捨て1つのキャラクターがチャーハンのようにパラパラしながらも1つの人物が活動しながら関係しているように感じる。

だけれども5人のグループから1人だけ離れていても嵐感がない面子がいる。

例を出すとリーダーの大野さんは社長さん?からOKを受けていて、たしか話をまとめる役もあったっけ?二宮さんだったらごめん(泣)なんか足りない感がある。
松潤さんはデビュー時(?かなりいい加減?10年くらいテレビから私が離れていたため)からベビーフェイスを否定したスタイルだったはずなので、でもいまの嵐をつくったもとだから必要、二宮さんは大野さんと並んでキーマンな印象、正統派、VS嵐以外だとベビィーフェイス感あり、相葉さんはわからないっす。でも違和感があれば人数で数えればわらないっす。
ただ櫻井さんだけがインテリ値が高いためにグループ名(嵐)として矛盾している。そのため、あれ櫻井翔さん いなかったけ論というネタができるのでした。

お返しにスマップの中居さんと大野さんが仲が悪いためor必要性を出すためにの回がうたばんであるのでした。いつだったけか?
(のヮの)ハロプロ元残党民 ナンシー鯖

だって桜井さんはインテリ過ぎてグループ名の嵐という自然現象から離れているから仕方ない。ニュースZEROが悪いよニュースZEROがー(笑)