マオ@のロストテクノロジー??

私のニコニコブログ等エッセイの中から技術的なこと書いたかもしれない内容の最終置き場です。はてな様に悪いのでぼかして書いてあることもありますが、そこは理解いただきたいです。コメントは返せるときに必ず返しますので、気になることがあったらコメントください。twitterやってます。https://twitter.com/maof2015

シャウトする音楽から見る音楽文化の広まり※私論 作JIVE_JIVEお兄さん(マオ@)

シャウトする音楽から見る音楽文化の広まり※私論 作JIVE_JIVEお兄さん(マオ@)

大陸をヨーロッパと中国とインドとアメリカと日本に分けて考える。

まず音楽の元となる弦の発祥はインドの文化とされている。特に中華がインドのコーランを輸入して独自の倫理を足したのが、有名な教えだったはずだ。(あとで訂正予定)

そのため中華地域では音楽が輸入されたと考えるのが普通の人の考えただろうと思われる。弦も輸入され馬琴などになったのだろう。

そうして太鼓、ドラ、様々なものが宗教的に国を治めるために使用され、(専門家ではないので詳しくはわからないが、)それが治める以外にも使用されるのが一般化だ。この一般化、たとえば町のお祭りなどのしようなどは他の地域でも起こった例は多いはずだ。もちろん研究者ではないので調べる気も起きないが。

 日本に音楽がやってきた理由はわからない。しかし神教と仏教のミックスの日本は、神教の音楽(イメージとして太鼓の多用)と仏教の魚拓とドラという輸入からなる音楽はまさにミックスだ。ただ謎なのは琴(弦)というものが上流階級だけに雅だからという理由だけで文化が保存されたのは謎だ。
 なぜあったのか理由がぼやけている、それくらい琴というのはレアケース故に表現されたもしくは唯一記録されていた文化なのだろう。
 そのため武士の時代に入り、雅を真似た文化の輸入により、貴族、武士、それにとりいろうとする上級商人、武士と婚約したい江戸の一般女性と文化が引き継がれ、例として江戸にはいると祭りの際に聴かれるようになったのではないかと考えられる。

 では声はどうか?一番最初に思い浮かぶのは平家物語を歌った琵琶法師だが、正解は宗教者、たとえば卑弥呼などが当たるのではないかと考えている。一番最初ではないがそのあとに葬式、能、日本ではそれあたりではないかと思う。そうして音楽と言葉の一致という意味で邦楽のベースができたと思う。

ヨーロッパはどうか?バイオリンなどの歴史は知らないが、インドと同じユーラシア大陸の、西にある。
 ただ今では一般的な弦を叩くピアノという楽器はもとは、弦を引っ張り離し音を鳴らすという機械だった。
(ピアノやバイオリン、ハープなどヨーロッパのイメージが強いがどこかで流通していた可能性が高い。期限を当たればアレクサンダー大王の遠征にヒントがあるのかもしれない。)
 しかし流通していたものとしてとらえても、ヨーロッパの文化として、今の叩くに落ち着いたのは調律士という高度な調整屋があらわれた宮中音楽の発生だろう。

 文化の発生には必ず最初には宗教の発生という、道徳というものがある。ヨーロッパでも音楽において宗教の強化として楽器が用いられたと思う。
 またそれとは別にボイス単独の音楽もあったはずだ。もちろん研究者ではないので調べる気がないが、それぞれが単独の文化で発生したものがどこかでミックスしたものが宗教音楽になり、宗教音楽の格式を自分の権威の高まりを表すものが宮中音楽や娯楽としてオペラが発生したのもたしかにかもと言える。
 またお抱えの音楽家の技能を調べるために、ピアノの叩き具合から、指揮者の楽譜を読みとる技能、場合によっては作曲能力などテストができた。
 しかし試験というものは吟味するもので、その吟味という一点に絞らざるをえない点から、宗教的に厳格さや、宮中音楽的軍歌的にに意欲への高まり、音楽敵視点で調律さなどがもとめらた。
 町の祭りなどにあられる大道芸人や弾き語りはその溢れたのはみ出した者たちと考えられる。
 つまりヨーロッパではピアノやバイオリン一つで技能を語れるほど、文化が成熟もしくは戦争などの中断で、ジャズがあられるまでそのものの音楽が固まり、人々が飽きることなく続いたと考えられる。(感覚としてアヘン戦争くらいまでと思う。)

 ここからが「シャウトする音楽から見る音楽文化の広まり」に入るのだが、精神病院で娯楽として深夜のラジオを聴いていた。深夜二時は若者の音楽、朝五時は民謡、六時はクラシック音楽だった。

 そこでみたのは民謡の良さで、民謡の特徴として、声の高さと伸びが、尺八にどこまでついていけるのかや、リズムを刻む太鼓、ベースの三味線などみるところは多かった。ある意味、いい民謡とは私はヨーロッパ的な見方しかできなかったのか、音との融合性ばかりに目にいってしまった。しかし詞という意味でみると民謡は生活を伝えるというモノになっていることに気づく。
 だが残念ながら私含めて多くの人は意味よりも、耳障りを選んでしまうのだなと感じてしまった。だがいい民よいとは逆をいうと、西洋の考え方だと必要なときにシャウト(主張)をおこない、あとは語るというものだ。
 この言語的な説明力(この場合、詞)は、言葉が理解される土壌でないと発生しない。これを説明するには、寺子屋という日本の土壌が説明してくれる。読む、書く、計算。たったこれだけだが、マッカーサーが行った日本語を維持するかフランス語に帰るのかというテストを、余裕でクリアした日本人の文章を読める力が表している。つまり理解する力が昔の人でさえあるのだ。
 日本ではシャウトという主張を行っていたが、一応シャウトを私なりに説明しよう、シャウトとは訳すと叫びだが、私は高音域をだすこと、高い声を出し、曲の安定した音量より大きい音を出すこととする。そうすると主張が絶命できるはずだ。

 また民謡の庶民生活を描くという点と比較して、ヨーロッパのシャウトとはどういうものか?まずは宗教音楽、高い域を出しているが主張というモノよりも威厳を与えるという意味になっている。宮中音楽もだし、軍歌もだ。

 これの結果は日本では(西洋との戦争前の話かもだが)葬式や神楽などの行事でだけ、厳格があったのに対して、ヨーロッパではそれがない。区分ができていないように感じる。かなりあいまいなのだ。極端な話、ヨーロッパの音楽の教育と日本という地域の差を説明すればするほど、違うと言えるのだなぁと感じる。

 私はこれにシャウトという考えを落としたい。
 ヨーロッパで発生した威厳を表した音楽は海を越えてアメリカに行き、アメリカでアフリカのシャウトの多様のシャーマン的?な音楽が広まり、それを治めるために、または宗教の入植や統治のために宗教音楽の拾得のためにピアノが選ばれた。(同時期には映画カサブランカでアフリカ人がピアノを弾いている。)その教育がありつつも、楽譜がわからない人々が即興で弾いた音楽がジャズかもしれないが、それがヨーロッパからやってきた人々の興味を引いた。そういった観点からアメリカは入植者の国として、文化がヨーロッパ系、アフリカ系からはしまり、集まり文化強国になった。
意味を持たない日本的でないシャウトと意味を持った厳格の音楽が出会ったのだ。

 それまではアフリカの説明の付かないシャウトと日本の説明を強調する主張のシャウトは存在しなかったと言える。では日本に厳格さはあったかといえば、限定的に存在した。というのがまとめ。

 ここから第二次世界大戦後の音楽と聞き手の若者の音楽の主流を説明したいけど、めんどくさいからやらないからとばして「新宿の女王」の突然変異の説明。
 ここから椎名林檎がなぜ「新宿の女王」でヒットしたのかの考察。2000年の付近にできたらしいが、「新宿の女王」は説明ができすぎていたところにある。2000年付近の音楽を聴いているとわかるのだが、音楽にこうなってほしいという主張や耳さわりのみで、(曲としてはわからないが)椎名林檎の「新宿の女王」のストーリー(物語)と母親と重なる自分という倫理性という、今までその当時の若者が聴いていなかった曲の分野から、私なりにいうと横から急に殴った価値観、それプラスその当時の若者が「新宿の女王」を歌うことによって、若者が「新宿の女王」を歌えるプレミア感によってヒットが成功したと言えると考えている。
 その説明力が今の2015年以降の若者音楽に取り入れられている強い要素とは言えないだろうか?

めんどくさいので終わり。

作成開始2017年10月11日18時5分頃
完成2017年10月11日20時5分
著作:JIVE_JIVEお兄さん マオ@ 柏大地 男心西宮律乃